名古屋地方裁判所 昭和59年(ワ)1480号 判決 1985年4月26日
原告
三和貿易株式会社
右代表者
岩坪文夫
右訴訟代理人
堀井敏彦
後藤眞
被告
小野美代子
平野正憲
右被告両名訴訟代理人
松岡泰雄
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
原告訴訟代理人は、
1 被告らはそれぞれ原告に対し、金二五三万〇五〇〇円及び
昭和五九年六月一日からその支払の済むまで年六分の割合による金員の支払をせよ。
2 訴訟費用は被告らの負担とする。
との判決並びに仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、
1 原告は貴金属及び非鉄金属の地金の輸出入、売買及び売買の仲介・取次・代理を業とする会社であり、具体的には株式会社中央貴金属市場における売買を顧客の注文により取り次ぐ問屋である。
2(一) 原告は昭和五七年七月三〇日、訴外小野久憲から左記約定により、市場におけるプラチナの現物条件付保証取引の委託を受けた。
呼値・単位 一グラム建一円刻み
取引単位 一キログラム
取引期限 六箇月先まで各月ごとに決済期限を選択
保証金 総約定金額の二〇パーセント以内
手数料 一キログラム当り片道二万五〇〇〇円
特約(一) 相場の変動によつて取引保証金の二分の一以上の評価損が発生した場合、委託者はその差額を追加保証金として翌営業日までに納入する。
特約(二) 追加保証金の納入がない場合、受託者に建玉処分権が存する。
(二) なお右取引は現物取引であり、現物の受渡に期日を定め、受渡期日に売方は現物を、買方は代金を授受して決済するもので、転売、買戻による差金決済は行なわないのが原則であるから、延勘定取引ではあつても先物取引ではない。
この点は後述するパラジウム現物条件付保証取引についても同様である。
(三) 従つて右取引は商品取引所法(以下「商取法」という。)に違反するものではない。またプラチナ(当時)及びパラジウムは商取法上の指定商品でもない。更に商取法は行政上の取締法規であつて、私法上の効果を左右するものではない。
3 右委託による小野久憲の個別注文に基づき、原告は別表(一)の通り、昭和五七年七月三〇日から昭和五八年一一月二一日までの間プラチナの売買契約を成立させ、その結果原告が同人から預託を受けた保証金相当分の他に三一四万五〇〇〇円の損金が発生した。
4 原告は昭和五八年一一月一八日、小野久憲から左記約定により、市場におけるパラジウムの現物条件付保証取引の委託を受けた。
手数料 一キログラム当り一万円
その余は第2項(一)と同じ
5 右委託に基づき、小野久憲の個別注文により、原告は昭和五八年一一月一八日から昭和五九年一月六日までの間、別表(二)の通り売買契約を成立させた。
なお原告は同人から取引保証金として昭和五八年一二月、合計四〇八万円の預託を受けた。
6 小野久憲の取引については昭和五九年当初から証価損が保証金の二分の一を上回つていたので、原告は同人に対して建玉の処分又は追加保証金の納入を求めていたが、一月六日、同人から、暫く入院するので両建にして待つていて貰いたい、退院後に決済するとの申入れがあつたので已むなく原告は同日、売六四キログラムの建玉をなした。
7(一) 小野久憲は同年三月三一日に死亡し、その妻及び子である被告らがその権利義務を二分の一宛承継した。
(二) この段階での未決済建玉は、以下の通りである。
昭和五八年一二月二日 買 二〇キログラム
同年同月八日 買 四四キログラム
同五九年一月六日 売六四キログラム
8(一) 小野久憲死亡により、原告は前記特約(一)、(二)(第2項)及び被告小野美代子の同意により、昭和五九年四月一一日、未決済玉を全部手仕舞した。
(二) その結果、保証金を充当してもなお一九一万六〇〇〇円の損金が発生した。
9 よつて原告は被告らに対し、それぞれ総損金の二分の一に相当する金二五三万〇五〇〇円及びこれに対する本件訴状送達の日の翌日である昭和五九年六月一日からその支払の済むまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求める。
と述べた。
被告ら訴訟代理人は、主文同旨の判決を求め、請求の原因に対する認否として、
1 第1項は認める。
2(一) 第2項(一)は不知。
(二) 原告のいう「現物条件付保証取引」は商取法上の先物取引に該当するところ、原告のいう市場は私設取引市場を禁止した商取法に違反して違法なものである。
(三) 原告は右の如き違法な「現物まがい」取引に先物取引の知識経験のない小野久憲を引き込み、現実には売買のない市場で、三〇〇〇万円にも及ぶ損失を被らせた。このような本件取引委託契約は公序良俗に反して無効である。
3 第3項ないし6項は不知。
4 (一)は認め、(二)は不知。
5 (一)のうちの被告小野の同意とある部分は否認、その余は不知。
6 第9項は不知。
と述べた。
証拠関係<省略>
理由
一まず商取法による規制との関係で、原告のいう「現物条件付保証取引」(以下「本件取引」ともいう。)の性質を検討する。
1 商取法第八条は、主務大臣の許可を得て設立された商品取引所が開設する先物取引の市場を除き、何人もこれに類似する施設を開設してはならず、また何人も右施設で売買をしてはならないと定めており、これに違反した者は懲役又は罰金の刑(又は併科)に処せられることになつている(同法第一五二条第二号、第一五五条第一号)。従つて原告のいう中央貴金属市場が先物取引をすることを目的とするものであるならば右法条に違反することになる。
2 ここで原告は中央貴金属市場はプラチナ及びパラジウム(但しプラチナについては政令によつて商取法第二条第二項の商品に指定されるまで)を扱うものであつて、これは政令指定商品でないことを理由として商取法第八条違反ではないと主張するが、当裁判所は右の如き解釈を採用しない。政令指定商品(昭和二五年政令第二八〇号商取法施行令により、農産物、ゴム、繭糸、綿糸、砂糖、毛糸、ステープルファイバー糸、昭和五六年政令第二八二号により金を追加、昭和五八年政令第二一四号により銀及びプラチナを追加)の如く、現代社会においてその重要性が余り明らかでないとしか思われない断片的な物品についてのみ商取法及びその付属諸法令がその先物取引について厳重な規制を加え、特に委託者保護のために種々の規定を盛り込んでいるのに対し、その余の一切の物品については誰でも何の制限もなく自由に先物取引市場を開設でき、取引の内容、態様についても何の法的制限もないという結論は到底承認できないものであるし、また商取法第八条の文言からしても、これが一般に「先物取引をする商品市場に類似する施設(証券取引法に規定する有価証券市場を除く)」の開設を禁じたものであることは明らかである。これが原告主張の通り政令指定商品に関してのみ適用されるものであるのであれば、右条文中括孤内にあるように有価証券市場を明文で除外しておく必要もない筈である。
原告主張の如く解する解釈が他にもある(例えば昭和五五年四月二三日付内閣法制局第一部長通達)ことは当裁判所の熟知するところであるが、このような解釈は取り得ないものであると考える。
3 そこで次に本件取引が商取法(第二条第四項)にいう先物取引であるかどうかについて判断する。
(一) 商取法にいう先物取引とは、「売買の当事者が……将来の一定の時期において、当該売買の目的物となつている商品及びその対価を現に授受されるように制約される取引であつて、現に当該商品の転売又は買戻をしたときは、差金の授受によつて決済をすることができるもの」である。
(二) 原告等が行なつている本件の「現物条件付保証取引」とは、成立にいずれも争いのない甲第五号証(パンフレット)、同第六号証(同)、同第二五号証(取引約款)及び原告代表者尋問の結果によれば、以下のようなものである。
① 商品(プラチナ、後に商取法の規制を逃れるためパラジウムに変更)を六箇月以内の期間を定めて一キログラム単位で売買し、その期間の月末に現実の受渡がなされることを予定し、「その月に必ず受渡をしていただくことの保証として所定の保証金」を顧客は納入せねばならない。また保証金の二分の一以上の損勘定が発生した場合には追加保証金の納入を要する。
② 「現物取引であつて」「転売又は買戻しによる差金決済は行なわない」が、買注文をした顧客が「資金その他の理由から現物を引取る意思がなくなり」、また売注文をした顧客が「現物の入手困難などのため現物を引渡す意思がなくなり、約定期日における売買注文と反対の売買注文をした場合は、当該約定日に……集中決済により相殺計算して決済する」。
③ 将来「高くなると予想して」買い付け、希望した「受渡月に高い値段がついていれば充分な利益(傍点付加、以下同じ)が出」るが、「予想に反し、値下りしたときには、損失となり」、「値下りを予想した売付けについても同様」であること、「保証金に対して、損失が大きく出」るので、「見通しによつて充分な利益を生むために……よく……研究」すべきこと、「必ず儲かるとか、絶対に損しないと確約することは……困難」で「元本保証などは」ないこと、取引は余裕ある資金で始めるべく、「余裕資金でないと投機のチャンスを的確にとらえ、勇気ある判断で勝利を獲得することは、容易なことでは」ないので、「余裕ある資本で……投機の醍醐味を楽し」むべきことは、「知つておきたい取引の常識」である。
④ 「玉」、「両建」、「サヤ」、「利がのる」、「引かれる」、「保証金」、「追加保証金」等は「知つておきたい取引の用語」である。
(三) また原告代表者尋問の結果によれば、原告の取引の実態は以下のようなものである。
① 原告の顧客の「殆ど」は現物取引ではなく、「保証取引」を行なつている。
② 原告は顧客から主に電話で売買の注文を受け、後日顧客に取引確認書を送付するのであるが、その間の経緯は原告代表者の説明するところによれば、原告は顧客からの注文を電話で東京の「市場」(当初「中央貴金属市場」、後に「日本通商振興協会」)へ原告名で通し、「市場」には「場立ち」と呼ばれる担当者が立会を行なつて取り引きし、取立が成立すると電話、次いで郵便でその旨が原告に知らされるというのである。
③ 原告は取引の都度「市場」に保証金を送らねばならないが、売買が同数の場合にはその必要はなく、原告が自己玉を建てて売買同数の注文を出す時があるが、売注文の数と買注文の数は「違う場合もある」。
④ 原告が現在扱つている商品はパラジウムであるが、現在原告はその現物を所持していない。
⑤ 小野久憲は原告との取引で現物を引き取つたことはなく、全部反対注文で清算されている。
(四) 更に原告の主張(別表(一)、(二))によれば、小野久憲の取引の状況は以下の通りとなる。
① 久憲が最初に発した注文はプラチナ五キログラムを五箇月後に買う(価格は一一六五万円余)というものであつたが、その後取引量は増大し、プラチナの取引は売買二一組四二回に達したが、その中で最高のものは三〇キロの売買で、その価格は(買の時)に実に一億〇六五〇万円である。また取引量で最大のものは最後の取引となつたパラジウムの売で六四キログラムである。
なお、前記甲第四号証及び同第五号証によれば、プラチナ及びパラジウムの世界年間産出量はそれぞれ約二七五万オンス(約八五トン余)、約一五〇万オンス(約四六トン余)であるから、中央貴金属市場、日本通商振興協会に加盟している数十社(原告代表者尋問の結果)のうちの一社の更にそのうちの顧客に過ぎない久憲がその世界産出量のそれぞれ約〇・〇七パーセント(昭和五八年一月二〇日現在の建玉はプラチナ合計六〇キログラム)、〇・一四パーセント(パラジウム六四キログラムの場合)を一人で動かしていたことになる。また久憲のプラチナ及びパラジウムの全取引量はそれぞれ四五四キログラム、二九六キログラムで、世界年間産出量のそれぞれ約〇・五パーセント、〇・六パーセントに相当する数字となる。
② 取引は何組もの売買が平行してなされ、多い時(例えば昭和五八年一月一日現在)には同時に五組の建玉がされていた。
③ 売注文から入つた取引も何組かあり(プラチナにつき六、パラジウムにつき一)、反対注文で精算しない限り、受渡月までに久憲がどこからかプラチナ等の現物を調達して原告に引き渡さねばならない。
(五) こうしてみると、原告のいう本件の「現物条件付保証取引」の実質が先物取引であることは明らかである。(二)②は商取法の前記文言にそのままあてはまるものであり、限月(受渡月)以前には精算できないということは、これが商取法上の先物取引に該当することを何ら妨げるものではない。本件取引に原告等が付けた名称が「現物条件付保証取引」であることや、そのパンフレットや約款中に現物取引を対象にした用語や規定が存在すること(例えば、「取引上の用語」として「クレーム」といえば、「苦情」であつて、「受渡のときプラチナ(又はパラジウム)が傷ついていたり、変形している場合はその程度により値段が引下げられる場合がある」由である。涙ぐましい程の説明といえよう。前記甲第五、六号証。もつとも本件取引の約款には、かような規定はない。前記甲第二五号証)についても同様である。また本件取引が真に現物取引であるならば、商取法上の規制商品にプラチナが加えられたからといつて原告らが取扱商品をパラジウムに変更する必要もなかつた筈であろう。
特に(二)③、④、(三)②ないし⑤、(四)①ないし⑤の事実にも拘らず本件取引が現物の授受を前提とした現物取引ないし延勘定取引であると主張するのはいささか強弁ではなかろうか。
4 即ち本件取引は商取法にいう先物取引であつて、原告の行為は明らかに商取法に違反しているものといわざるを得ない。
二次に商取法違反の右行為の効力を検討する。
1 商取法はいわゆる業法であつて行政上の取締を目的とするものと解されるから、これに違反した行為がそのまま直ちに私法上も無効であるとはいえないであろう。殊に政令指定商品以外の物品について先物取引をしたいという者があり、他方にその便宜を供したという者があつて敢て任意の売買ないしその取次を望むのであれば、その「市場」における取引内容がそれ自体としては公正なものである限り(原告加盟の東京貴金属市場、日本通商振興協会での取引がそうであるかどうかについては、後述の通り本件の判断に不必要であるので、ここでは立ち入らない。)、刑事法上の問題を別にして、私法上の効果を認める余地があるかも知れないからである。
2 しかしながら、本件の如く裁判によつてその合意(仮にあつたとして)の履行を強制することは到底許されないものであると考えられる。法は商取法に従つた商品取引所以外の場所、態様における先物取引を禁じ、違法行為に対しては罰則をもつて臨んでいるのであるから、その違法行為に裁判所が加担することはあり得ないし、ここで原告の請求を認容することは、法が一方で禁じたものを他方で与えることになり、矛盾たるを免れないからである。従つてその余の点について判断するまでもなく、「本件取引」に基づいて精算後の損金の支払を求める原告の本訴請求は容れる余地の全くないものとせねばならない。従前、商取法に定める商品取引以外の違法な商品取引が裁判上争われた事例というのは専ら顧客側が被害者として被つた損害の賠償を求めるものであつて、業者側が取引の適法性を唱えて保証金、「損金」を訴求した例の稀有であるのは理由のあることである。
なお、これは裁判所が原告のこのような訴えを判断しないというのではなく、その請求を許容できないものとして排斥するものである。
三以上の事実及び判断によれば、原告の本訴請求は失当であるのでこれを棄却し、訴訟費用の負担については民事訴訟法第八九条を適用して、主文の通り判決した次第である。
(裁判官西野喜一)
別表(一)
売
買
損益(円)
成立年月日
約定値段円/g
数量
受渡月
成立年月日
約定値段円/g
数量
57.9.9
3270
5
57.12
57.7.30
2331
5
+4,445,000
8.10
2180
5
11
9.9
3250
5
-5,600,000
11.26
2742
7
12
9.9
3272
7
-4,060,000
9.10
3110
7
12
10.14
3090
7
-210,000
10.20
2920
3
58.1
10.19
3206
3
-1,008,000
10.20
2910
7
57.12
12.3
2923
7
-441,000
58.1.12
3429
2
58.5
12.3
3077
2
+604,000
1.12
3429
10
5
12.10
2907
10
+4,720,000
1.12
3411
3
4
12.13
2830
3
+1,593,000
1.12
3360
1
3
12.24
2914
1
+396,000
6.1
3456
2
6
10.10
3407
2
-2,000
1.24
3474
30
6
1.12
3550
30
-3,780,000
1.17
3488
20
5
4.20
3258
20
+3,600,000
3.14
3020
28
3
1.25
3491
28
-14,588,000
4.1
3150
1
9
5.30
3728
1
-628,000
1.17
3488
10
5
5.16
3400
10
+380,000
5.30
3715
20
8
4.20
3238
20
+8,540,000
9.8
3490
23
10
5.30
3742
23
-6,946,000
6.1
3470
23
10
9.8
3490
23
-1,610,000
11.21
2940
10
59.2
9.22
3440
10
-5,500,000
11.21
2920
10
59.1
9.30
3090
10
-2,200,000
合計
-22,295,000
別表(二)
売
買
損益(円)
成立年月日
約定値段円/g
数量
受渡月
成立年月日
約定値段円/g
数量
58.12.8
1238
20
4
58.11.18
1092
20
+2,320,000
59.4.11
1155
20
4
12.2
1193
20
-1,260,000
4.11
1155
44
4
12.8
1238
44
-4,752,000
59.1.6
1144
64
4
59.4.11
1155
64
-2,304,000
合計
-5,996,000